38歳の梅雨の時期母親が旅立つ
7月2日に母親が長い闘病生活から解放されて旅立ちました!
それまで、何度となく放射線治療や抗癌剤治療、手術などをして頑張ってくれましたが、③年前にとうとう完治は難しいと言うことになり、今年の②月までなんとか薬で抑えて頑張ってきたんですが、とうとうそれもダメになり、母親は舌癌で舌根の部分に出来てしまったので②月くらいから食べたり飲んだりが難しくなり入院。
母親は、入院しても食事が出来ると思っていたんですが肺炎とかも起こしてしまった為、入院したその日から食事が一切禁止に。本人は、かなりショックをうけてしまって。切なかったと思います。悲しかったと思います。人間は、産まれてその瞬間からおっぱいを飲んで食べたり、飲んだりしながら生きてきてそれがダメになれば辛くて仕方なかったと思います。
③月に腸ろうの手術を行い、口から栄養が取れなくなったから直接、腸から栄養を入れる手術を行いました!その後、少しして退院しましたが母親は辛かったと思います。だんだん体力がなくなり、体重も20キロ台に。挙げ句の果てには、癌腫瘍がある方の視神経がやられて目が見えなくなる事までおきて。なんとも切なく、辛く、やり切れないと思います。
腸ろうを作った部分が痩せていく事で隙間が出来て腸液がそこから漏れ出していくハプニングが起きて、栄養も薬も腸ろうで入れてもほとんどがそこから漏れ出してしまう始末。皮膚が被れただれてヒリヒリしてかなり痛かった様子でした。
母親は、早く死にたい。どうしていいか分からないと言ってました。
正直、娘の私でも早く楽にさせてあげたいと思ったのです。
そこから、母親が1人で生活する事が難しくなり急いでホスピスを手配!!
医療用住宅型のホスピスだったんですが、そこの看護師さん、介護士さんがものすごく良い方達ばかりで心が救われました。
実際、そこのホスピスに居たのは1ヶ月程でした。
住民票も移し終わったら矢先に母親は亡くなりました。看護師さんが言うには、痛くもなく、辛くも長く眠るように亡くなったそうです。
それが娘として1番良かったと思える事でした!
母親が亡くなり悲しい気持ち半面ホッとした気持ちもありました!これで母親が痛いとか辛いとか苦しまなくて済むからです。もう安らかにゆっくり休んでもらいたいからです!
それからは、私が喪主となり葬儀の手配、親戚への連絡、もてなし、母親のその後の手続き等を行いました!
正直、やる事、考える事が多すぎて放心状態になる暇ありませんでした!
今は、少し落ち着いて心の整頓をしてます。
やはり、母親の死を前々から覚悟はしてきたもののいざ、この時が来るとダメですね。涙が止まりません。心が壊れてしまうんじゃないかと思うくらい。
楽しかった思い出と後悔の気持ちが、、、ふつふつと出てきます。
もう、母親に逢えないと思うと辛いです。
夢にでも出てきてくれると嬉しいんですがなかなか出てきませんね!
無事に火葬して、今現在私が住んでる家で遺骨を置いてます!母親は、生前から樹木葬を希望していたのでその場所が見つかるまではうちで一緒に過ごす事に!!
私の38歳!母親との別れ。必ずしも、別れが来ます!そう理解していてもやはり母親という存在は大きな偉大な存在なのが再確認する年になりました!
これからの私は不安ですが、母親にちゃんと生きていく事を約束したので恥じないよう頑張って生きて行こうと強く感じた38歳の私でした!!!